16才になると同時に幕張で原付免許を取りミスターバイクの個人売買のページでYSR50を譲ってもらいました
10月生まれの私は仲間の内では遅いほうで先輩のNSR250にタンデムさせてもらい夜中に千葉県東金市の雄蛇ヶ池によく連れて行ってもらった記憶があります
免許取得後にすぐ東京都稲城市に住んでいる走り屋の兄ちゃんからバイクを譲り受けるも仲間は、NSR50や50FにNS-1、TZRやなんかでとてもじゃないけど追いつけない
当時は、マフラー換えりゃ速くなると思っていたので某雑誌(忘れました・・)の個人売買でYS用の社外マフラーを3,000円で購入
キャブも何もいじらず本当にポン付けであの2stのバンバン音を爆音で走っていました
仲間の集まる公共施設に川を隔てた道路を通って集まりますが僕のバイクが来るとかなり遠くからわかるみたいで今考えると本当に小僧以外何者でもなかったんだろうななんて思い出します
結局、もともと錆だらけだった社外マフラーは実家から10kmほどある大型バイク部品店に行く途中で脱落していまい直管になってしまったため走行不能
近くのガストの駐車場に隠して友達の後ろに乗って帰り翌日、親に頭を下げて車でマフラーと工具を持って取りにいくもの、その場にYSRの姿は無く1年間ぐらいの付き合いでお別れという形になってしまいました
タンクが黄色でカウルが白というツギハギのYSRが可哀想だったので本屋で立ち読みして自家塗装で真っ赤にして大き目の英字ステッカーで「YZR」に
仲間から突っ込まれましたがノリだったので愛想笑い
時間と情熱だけはいくらでもあったので全部つぎ込んでかなり上手くできたのを覚えています
遅いバイクを早くする方法なんてわからず有名なバイク乗ればいいのかな?なんて思い先輩から安価でNS-1を譲ってもらいましたがなぜか思い出がほとんどありません
あれだけパーツが無い中、スクーターよりも遅かったYSR
「出来が悪いほど可愛い」みたいな愛着があったのは確かでした
初めて自分で買ったというのもありますし仲間で走りに行く時、気がつけばいつの間にか殿にならずに負えないのにその後ろを走ってくれた友達
そんなこんなが嬉しくまた、バイクのある思い出では避けて通れない追憶の中スポーツスターで走っていると蘇える記憶とあの空気の匂い・・・
その後、仲間のほとんどが学校を辞めて暴走化してしまいますが…
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