2012年1月8日

心の口癖「バイクは裏切らない」

年末まで朝の0度は身にこたえるものがありましたが年が明けてから
温度は変わらずですが湿度なのか、冬至の関係か寒さが和らいだ感じがします

正月休みが8日間とこの3連休なので今までとはうって変わってかなり休日が多く
用事が無いときは一日中バイクと向き合っていたりと充実した日々を過ごしております


気温が5度ぐらいの頃から車庫でゴソゴソ・・物置の中でゴソゴソ・・
バイクをいじっていると趣味が無い人は、何してんだろっていう他人の心配するぐらい
時間の過ぎ方があっという間で朝飯食べる前にキャブ開けたり自分のことながら
「俺、本当にバイクが好きだな~」と思います。でもバイクは裏切らないからさ!

小学生ぐらいの時に実家の近くの川を行く途中に車好きのにーちゃんがいて
いつも道路に車がはみ出てカースペースにはタイヤが山積みになっており
子供心に「あの人車大好きなんだな、暇なのかな?」と思っていましたが
家の前を通る子供たちは同じこと思ってるんだろうなとか被害妄想的な視線を感じます(笑)

家の前の公道はマイナーなほうの抜け道で交通量は少ないですが
みんな飛ばす飛ばす。子供がいる家庭としては不安が募ります
家を買ってから丸2年が経とうとしていますが今の環境のおかげで
生活道路の走り方というか意識が変わり、その道路沿いに住んでいる人の気持ちを
考えると低回転でゆっくり走るベテラン風?な乗り方をしています

ノーマルのマフラーはそういう生活道路や住宅街では走ってる感がありますが
広い道に出るともう全く静かでさびしいような嬉しいような複雑な気持ちになることもあり
もう少し音が・・・どうのこうのと忙しい心情です
この感覚は何度か禁煙しているときにタバコを吸ってる人を見て
「まだやめられないの?」テキな自分という人間の弱さを考えさせられます
数年前バイク雑誌の編集をやっていた頃やっぱりマフラーがノーマルだった頃
編集長に「俺らの雑誌を読んでる人のほうがお前よりバイク楽しんでるのわかってんのか?」
と言われたのを今でもありありと覚えています。

突き進む楽しさは突き進んでいるうちしか楽しくなくてその上には沢山の人の迷惑の上に
支えられてる現実を否定した方がより楽しく、自己満足に「あー!バイクおもしれー!」と
時には声を大にのたうちまわるような感覚があります。
この沢山の人の迷惑というのは暴走族の違法行為の線上にあるもので
グレーゾーン云々ではなく無理やりなすり抜けだったり、格好だけの
マフラー交換だったりするものは音出した者勝ちな族的なものをさしています。

じゃあ、自分はどうだったかと言うとほぼ直管のYSR50から始まり、
SRもブルックランズのキャブトンと相当な音で昼夜構わずTPO考えず開けまくって遅い車に
パッシングしたりギリギリのすり抜けは日常的なものだったのでそれが集団になると
暴走族と何ら変わりの無い過去を思い合わせると決して偉そうなことは言えません。
なので今そうしている人たちを見てもそれを咎める資格ももちろんありません。
そこにリスキーを含むバイクの楽しさが酒精分として帯びる感覚はほとんど無くて
「すり抜けさせてもらいますね~」みたいな余裕とバイクに乗れる、いじれる環境に
感謝していて世間とバイクに「乗せてもらっている感」がすごく強くあります。
その結果がこの上の文になってくるんですが自転車、バイク、車の共生の中で
バイクのあり方を考えると無駄に20年近くバイク乗ってねーぞっていうのと
どちらかというと模範側に(バイクも)なるような乗り方ができれば一人でもいいから
原付以外のバイクの普及率も増えその見本みたいな奴になれればいーなと思います。

この時代、二輪車はどんどん極化(極下)しているような不安に駆られます。
車に乗っている時に見かける(ただでさえ少ない)バイクは我物顔で
車間をスラロームして行き、その間無駄なあおりを繰り返し、まるで昔の自分・・
こんなんじゃバイクに乗りたい人たちはその一歩を踏み出しにくく、またバイクに
対する感情も危なくてうるさい、これだけの認識が強くなる一方な悪循環な気もします。
大抵、ビッグスクーターがほとんどのような気もしますがそれはいいとして
自分に置き換えたときにやっぱり繰り返しちゃいけないなと思うわけです。

遅くなりましたが

あけましておめでとうございます
どうぞよろしくお願いします

Dan

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